必読、川崎泰雅の軌跡と告白。【中編】 ~リコタイ番記者、最後のインタビュー~
「軽い気持ちで盗塁していた」
当時の立教には2つ上のロイド吐夢(県横須賀)ら、個性派かつ実力派の先輩たちが揃っていた。ただし、優勝を目指すというよりは良くも悪くも楽しんで野球をやろうという”立教らしさ”があった。
「『負けるんだろうな』と思いながら試合に入ってました。」
なかなか勝てないチームの中でモチベーションを保つには、個人を優先させるのは至極当然だった。「1年生の時はスタメンは半分くらいだったと思います。デビュー戦の初打席で初タイムリーを打てて、そのまま『盗塁できんじゃね?』て思ったらできちゃって(笑)」という初盗塁を機にスチールを重ね、終わってみれば盗塁王と新人王のダブル受賞。この時の自分は「軽い気持ちで盗塁していた」と打ち明ける。2年になると更にそのエゴは強くなった。個人タイトルの獲得を明確な目標として、川崎は定位置となる「1番・センター」に定着した。一方でこの年の立教は東大を除けば法政に対して1勝を挙げただけ。このシーズンで2位と躍進を果たした法政の黒井誠也(加納)に盗塁王のタイトルまでも奪われてしまった。
3年生になり、リーグの新入生120人プロジェクトの甲斐もあって立教にも多くの新入生が加入。「野球以外のプライベートの時間をチームメイトと多く共有するようになって、すごく楽しくなった」という。それでもグランド上での川崎の意識に大きな変化はなかった。
引き続き盗塁王が最大の目標であり、2番に入る赤崎南斗(桐光学園)には、「『初球か2球目で走るからそれまでは打たないで』ってお願いしてました(笑)」
象徴的な逸話がある。5月12日東大球場での法政戦、川崎の第4打席。ここまで全ての打席で出塁していた1番打者に対し、ネクストバッターズサークルから赤崎が「泰雅、ここらで大きいの一本頼むよ!」と声をかけた。1点ビハインドで走者を一塁に置き、チームで最も頼れる打者に対する声かけとしては至って自然なものだろう。ところが、右打席へと歩みを進めていた川崎は「やだよ!だって盗塁できないじゃん!」と咄嗟に答えたのだ。
川崎はこの試合の3回、二死走者無しから四球で出塁すると2つの盗塁で三塁に進み、赤崎の適時打で先制のホームを踏んでいた。この時のことを振り返りながら「今思えば最悪の自己中ですね(笑)」と笑ったが、『走るために塁に出る』ことを信条としていた川崎にとっては偽らざる本音だったのだろう。