「感謝」│2021引退特集 ~明治大学編~

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リーグ戦終盤まで優勝争いに参加し今年も大いにリーグを盛り上げた明治。チームを盛り上げながら引っ張ってきた3年生もこれで引退することとなる。
念願のリーグ戦優勝やZETT杯の栄冠にはあと一歩及ばなかったが、試合終了後の表情は充実感にあふれていた。そんな彼らに今の気持ちを率直に聞いた。

明治ナイン最後の「感謝」、ぜひご覧ください。

#24 伊藤秀真(都立新宿) 主将

まず、自分がキャプテンになったことに一番驚きました。人の前に立つことが苦手だし、口下手だし、うまくチームをまとめられるか不安でした。チームメイトからは楽しくないからとか面白くないからと試合や練習に来ない人もいて、キャプテンとして落ち込むことがありました。また、チームが分裂した時期もあり、キャプテンをやめたいとずっと思っていました。でも、キャプテンになってから試合で勝った時は毎回嬉しかったです。特にZETT杯初戦、慶應戦での勝利は格別でした。それに、後輩や明治以外の六大学の人と仲良くなることができました。なんだかんだ、キャプテンをやってて良かったかなと思います。
そして、学生野球を最後まで楽しんで終わることができて良かったです。今後野球をやるかどうかはわからないけど、六大学や明治のみんなとは野球でも野球以外でも会えたら良いなと思います。 最後に、コロナの影響でリーグ戦が一時できなくなったり、最後までリーグ戦を消化できるかどうかの懸念があったりと、本当に大変なシーズンでしたが、ZETT杯まで完走できたのは理事会のおかげだと思います。理事会のみんなありがとう!そして、明治のみんなありがとう!  

#1 川上裕陽(甲南) 副主将

3年間、このリコタイで野球をさせていただきありがとうございました。多くの人達の協力や支えのおかげでここまで私が野球をやってこられました。本当に感謝しています。私は1年生の頃から金山(3年・金山拓矢)とバッテリーを組み、試合に出場させて頂きました。1年目のシーズン初戦と最終戦のサヨナラ負けのシーンは今でも鮮明に覚えており、最近も金山とこの話をしました(笑)「チームの期待に応えたい」コロナウイルスによる自粛期間中はこの気持ち一心で毎日トレーニングしました。体格が変わりパフォーマンスが良くなったことで、みんなから「エース」と呼ばれるようになったことは非常に嬉しかったです。
今シーズンは悔しい結果に終わってしまいましたが、どの試合も本当に楽しかったです。後輩達は非常に気配りができ、試合中の声掛けや試合後のケアなど、色々な面で私を支えてくれました。本当にありがとう。これからは私がこれまでリコタイで培ってきた知識や経験を1つでも多く還元してあげたいと思っています。記録に残る成績を収めることはできませんでしたが、多くの人達の記憶に残る選手になっていれば幸いです。そして、私と関わってくれた人達が自慢できるような選手になれるよう、これからも頑張りたいと思います。

#33 柳達也(県立秦野) 理事

3年間の大学野球生活を振り返ってみると、僕は野球の思い出がほとんど残ってないです。唯一の野球の思い出は、初戦の法政戦でのエラーです。3年になり調子に乗って試合に出たらしっかりやらかしてしまい、トラウマになりました。それからは練習に行ってもふざけていて、試合中も試合に出ずにベンチで騒いでるだけでした。理事がこんなにふざけてばっかりで大丈夫なのかと思うほどふざけ続けてきて、リコタイのみんなにはたくさん迷惑をかけたと思います。それでも試合のときに話してくれたり一緒に飲みに行ってくれた他大学のみんなや、こんなに頼りない理事を受け入れ、文句を言わずについてきてくれた明治のみんなには感謝しかありません。
コロナの流行もあり、合宿やイベントなどがあまりできなかったのは少し心残りですが、他大学の人とも仲良くなれたり、野球を楽しんだり、リコタイのいいところを存分に楽しめた3年間を過ごすことができました。リコタイに入って本当によかったです! リコタイ最高!やっぱり明治がナンバーワン!  

#2 富岡俊平(都立城東)

思い返せば本当に楽しい3年間を過ごすことができました。幸運にも1年生のリーグ初戦から試合に出してもらい、3年生の最後までほとんどすべての試合でフル出場させてもらいました。1,2年生の頃は全く打てずチームには迷惑をかけ、3年生では急に守れなくなって「俊平のところに飛んでもソワソワする」とチームメイトに言われたりと、自分の思うようなプレーができずに悔しい思いもしましたが、それでも使い続けてくれた各代のキャプテンには本当に感謝しかありません。自分がもう少しできていれば今年のZETT杯は優勝まで行けたのではないかと思うと今でも悔しさがありますが、最高の仲間と最高の敵に向かっていけたという経験は何物にも代えがたいものだと感じています。
後輩たちはみんなかわいくてちょっと生意気でとても野球が上手い子たちなので、この先会える機会が少なくなるのは非常にさみしいですが、来シーズンはリーグ戦優勝を果たして4位地獄からぜひ抜け出してほしいです。
こんなに大学でも野球が楽しめるとは思っていませんでした。ZETT杯では野球人生初の隠し球にも成功しました。あの早稲田ベンチを一瞬で静まり返らせた快感は一生忘れることはないと思います。最高な出会いができて、自分は本当に幸せ者です。みんなも幸せになってね!

#6 矢野将大(昭和学院秀英)

写真中央・矢野

まずは東京六大学理工系硬式野球を運営してくださった関係者の皆様、理事の方々、ありがとうございました。コロナ禍で活動休止が強いられることもありましたが、1年生時からの試合経験に加えてヤングJAPANでの国際経験と、お陰様でこのリコタイで貴重な体験ができ、とても充実した3年間になりました。このような経験もあり、最終学年となった今年は途中までタイトル争いに加わることができました。そんな中最後の2試合は、9タコでずっこけたことも自分らしいのかなと思いますし、俊平(富岡俊平)と秀真(伊藤秀真)との1〜3番打者で15タコと11タコしたことも一生の思い出になったので悔いはないです!ひたすら、頭が悪く野次多めの明治のノリが好きで、ずっと楽しかったです。特に明法戦は両ベンチうるさいくらい賑やかで楽しい雰囲気がある一方で、毎試合緊迫した熱戦になるというのが恒例でとても好きでした。
頼もしかった後輩達には、是非とも万年4位の明治から抜け出して優勝を勝ち取ってほしいです。頑張ってください!仲良くしてくれたみんなまた飲み行こね〜  

#10 寺拝壮史(県立大門)

リコタイの3年間の思い出の1つ目は、ヤングジャパンの台湾遠征です。初の海外でしかも胸元にジャパンと書かれたユニフォームを着て試合をしたというのは、自分の野球人生において1番の経験だったと思います。そして、台湾遠征を通して関わりのなかった他大学の同級生や先輩と出会ったことでリコタイでの試合がより一層楽しく、とても充実しました。
2つ目は、同級生と野球が出来たことです。みんなより1歳上の自分にも最初から気軽に接してくれたおかげで、コロナのせいでなかなか練習や試合・合宿が出来ずにみんなと過ごす日も減ってしまったけれど、みんなと過ごせた日々は大学3年間の中でとても濃い時間でした。そして、最後は怪我をしてチームに迷惑をかけてしまったけれど、リコタイ最後の試合、最終打席でヒットを打てたことは、とても嬉しかったです。ヒットを打ってベンチに帰った時、みんなが喜んでくれていたことは忘れることはありません。 自分自身、思った成績を残すことは出来なかったけれど、同級生・先輩・後輩に恵まれとても楽しく3年間過ごせました。自分に関わってくれた方本当にありがとうございました。

#13 長森勇輔(市立桜丘)

やっぱり3年間の中で一番思い出深かったのは1年の夏の合宿で見た、伊藤秀真選手の「最初のキッスは15の春」という一発ギャグですかね。もともとバナナマンの日村さんのギャグだったのですが、数分で覚えたとは思えない見事な完成度でしたね。小さくジャンプした後の斜め後ろを向いたポーズというのはやはり、伊藤選手の体感の強さや強靭な下半身による粘りのあるジャンプ力が素晴らしかったからできたのだと思います。そのギャグを練習したせいか、その後の試合でも低めの変化球を粘って逆方向に運んでいたり守備でも球際の強さに現れているようにも見えました。ぜひ個人的にでもいいのであのギャグはやり続けてほしいですね。  
あともう一つ頭に残っているのが中国語の期末試験で出た単語を聞いてきた伊藤選手ですかね。楽して何とか単位を取りに行こうという貪欲な姿勢はやはり野球にも大きく表れていたでしょう。やはりあれほどの貪欲な姿勢が無ければ新宿という一等地で野球を続けていくことは難しいでしょうね。彼の場合は練習量も非常に多く、本当に尊敬している野球選手の一人です。  

#22 金山拓矢(獨協埼玉)

リコタイで過ごした時間は、自分にとってかけがえのない時間でした。特にこのリーグは他大学の縦横の繋がりも強く、沢山のメンバーと鎬を削ってこれたことが1番強く残っています。中でも特に各大学の選手達が、どんな環境でどんな思いを持って野球と向き合ってきたか、全く違う経緯を持つメンバーと同じ目標に向かって野球をしてこれたことが自分の宝になっています。
もちろん悔いも残っています。優勝したかったし、皆を勝たせてあげたかったのですが残念ながら叶いませんでした。ただ、それよりももっとずっと苦しかったことが、コロナ禍による制限です。どうしようもないことではありますが、このリーグには、ここでしかこのメンバーでしか経験できないような特別なこと沢山あります。Japanであったりリーグのオールスターであったりと、慣れ親しんできた「野球」を通じて他ではできない経験をしたことは、かけがえのないものになっているのです。特に後輩には余裕のあるうちに経験してほしかったと思っています。
長くなってしまいましたが、楽しい思い出ができたのも大変な思いもしたのもこのリーグならではのものです。関わってくれた全ての人に感謝を伝えたいと思います。この場をお借りして申しあげます。 ありがとう!  

#34 佐藤寿樹(明治大学付属中野)

生田硬式野球部に所属して1,2年生の間はコロナや授業の関係でほとんど試合に行くこともなく、数打席立っただけの幽霊部員のような状態でした。
それでも3年生になってからはラスト1年ということもあり、積極的に試合に参加できたことは自分の野球人生を締めくくる上でもよかったかなと思います。練習にもあまり参加していない自分を試合に出してくれたりして、楽しく終わることができました。
思い出としては、仲良くしてくれた裕陽(川上裕陽)と東京ドームでバッテリーを組めたこと、ZETT杯でもうだめかと思える展開から逆転して慶應に勝ったことが1番だと思います。慶應との試合は終了後の興奮が半端なく、1年生のときから積極的に参加しなかったことを少し後悔しました。
それでもこれらの思い出に加え、高校で終わりと思っていた硬式野球を大学でも続けられたことは大学生活の中でかけがえのない経験であり、生田硬式野球部に入って本当に良かったと思います。

#35 松永俊一(都立戸山)

まずはこのチームでやってきて良かった!同期、先輩、後輩に恵まれ大学でも最後まで野球ができました。皆さんに感謝しています。ありがとうございます!1年時は練習出席率1番くらいに行ってバッティングして、ノック受けて5限の教職に出る、という生活でした。多分今より体力的にしんどかっただろうけど、野球を少しでもやることで気分がめちゃくちゃ良くなっていました。
もう1つ野球以外でも、コロナ禍で練習ができない時期に始めたランニングはとても良かったです。リコタイ全体でのイベント的な感じで始まりましたが、期間後も自分でやっていて、なかなか良い習慣になったなと思っています。
東京ドームで試合ができるのは幸せなことでした。1年生は来年楽しみにしててね!!あの試合とZETT杯の2試合はとても印象に残っています。3年生最後という感じで盛り上がれたし、思い切って楽しく野球ができました。
秀真(伊藤秀真主将)、かほ(八木沢香帆マネージャー長)、達也(柳達也理事)は本当にお疲れ様でした。他のみんなもだけど本当に3人には頭が下がります。最後旭(古賀旭)もいいプレゼントを選んでくれてありがとう。秀真は本当に良いキャプテンでした。いろんな人に声かけしていました。自分もすごくそれに助けてもらったし、ありがたかったです。本当にありがとう!そして小学校から大学までずっと野球を続けさせてくれた両親に感謝し、2人を尊敬しています。
最後に頼もしい後輩の皆さん、学年が上がると忙しくなると思いますがぜひリーグを盛り上げて頑張ってください。来年は「やっぱり明治がNo.1」になることを期待しています。

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