引退特集第2弾!|伝えたい感謝の気持ち〜慶應義塾大学編〜

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引退特集第2弾、立教に続く2番目は「陸の王者」こと慶應。昨季に引き続き、今季もリーグ戦わずか1敗とその看板に恥じることのない強さを見せつけた。圧倒的な力を見せて優勝した昨季の主力が引退したことで、一時はチームの弱体化も囁かれた。しかし、その声を一蹴し、抜けた穴を見事にカバーしたのは、一人一人が野球に対する熱い想いを持った3年生達であった。そんな彼らの想いの形成過程は、これまで関わってきた多くの人々の影響抜きには語ることができないだろう。学生野球を終えた今、これまでの野球人生を振り返りながら、普段なかなか伝えることのできない周囲への感謝の気持ちを綴ってもらった。

#22 根井優成(江戸川学園取手) 主将

自分が感謝したい人は両親です。 父親の影響で小さい頃から野球をやってきましたが、これまでの野球人生は苦しいことや辛いことがたくさんありました。主将から外されたり、レギュラーから外されたり、練習がきつかったり、勉強となかなか両立できなかったり。
両親に厳しいことを言われたこともあります。野球でもスタメンを外され、勉強でも結果が出ていない時には野球をやめろと言われたりしました。 でもその言葉があったから今、強い自分がいると思います。
厳しいことを言われることもありましたが、それ以上に自分を支えてくれました。父親はグラウンドまでの送り迎えや家での夜遅くまでの練習にもいつも付き合ってくれました。 母親は朝早くからお弁当を作ってくれたり、ユニフォームを洗ってくれたりと、いろんな面で支えてくれました。
今まで支えてもらったことには感謝してもしきれないです。
本当にありがとう。
ここで学生野球人生にはピリオドを打ちますが、これからもあたたかく見守ってくれたらなと思います。 これからは自分が支える立場になるからね。
本当にありがとうございました。
そして野球というスポーツに出会えたこと、野球を通して出会った全ての人に感謝します。                                             根井優成

#21 川埜直人(筑波大学附属) 副主将

小学校の頃から大学まで野球を続けてきて、たくさんのチームメイトや指導者の方々に支えられてきましたが、やはり1番に感謝したいのは両親です。
特に父親は、僕が野球チームに入る前から毎週のようにキャッチボールに付き合ってくれて、いつも上手くいかずにケンカして、泣きながら帰ってきていたのをよく覚えています(笑)
そうした中で野球の楽しさを教えてもらえたからこそ、大学まで野球を続けることができ、多くの仲間に恵まれて本当に楽しい野球人生を送ってこられました。
お父さん、今までありがとう!またキャッチボールしましょう。

#0 富山夕輔(都立戸山)

左から清水槙利富山夕輔

慶應リコタイ野球部の坂本勇人といえば誰もが思い浮かぶであろう男、その名も清水槙利。この男がいなかったら私がこうして硬式野球を続けていることはなかっただろう。 私は中学から野球をはじめ、高校も公立の弱小校であり厳しい環境で野球をしてこなかった。そのため大学では軟式野球のサークルに入ろうと考えていた。そこで出会ったのが、同じクラスに所属していた清水槙利である。同じ元高校球児であり、地元も近いことからすぐに意気投合し、そこでリコタイ硬式野球部の話を聞いた。そのとき硬式野球を続ける気が無かった私は、リコタイ硬式野球部に何の魅力も感じていなかった。しかし、話を聞いていると、気づいたら硬式野球をしたくなっていた。それは自分と似た境遇の人間が、まだ硬式野球への愛を忘れていないことに感動したからだろう。清水槙利という男が私の眠っていた硬式野球への愛を呼び起こしてくれたのだ。ほどなくして私はリコタイ硬式野球部に入部し、今に至る。清水槙利のおかげで、私はリコタイ硬式野球部という「星」を見つけた。この感謝をどんな形で伝えるか色々考えたが、何も思いつかなかったためここで伝えることにした。それにしたって形が悪い。

#6 清水槙利(都立大泉)

小4から野球を始めて12年。小中高と保護者の代表として常に応援してもらった母には感謝しています。 誰よりも野球が好きな自分を、誰よりも近くで応援してくれたことを心からありがたく思います。 これで1度野球から離れますが、ずっと続けてきて応援してもらっていた野球を、なんらかの形でまた続けていきたいと思います。

#7 長橋一徹(洛星)

僕が感謝を伝えたい相手は両親です。
父は僕に野球の楽しさを教えてくれました。小さい頃から2人で公園に出かけ、キャッチボール、ピッチング、トスバッティング、ノック等、野球の基本練習に暇さえあれば付き合ってくれました。熱狂的な阪神ファンである父に連れられて何度も甲子園に足を運び、球場の広さと大歓声に感動して野球というスポーツが大好きになりました。
母は中高6年間、毎朝4時に起きてお弁当を作ってくれました。片道1時間半かけて朝練に行く僕のために、母は欠かさず早起きをして成長期の僕を栄養バランスのとれた食事面で支えてくれました。 大学入学後、上京して1人暮しを始め、両親への感謝の思いはより強くなりました。今まで当たり前のようにしてもらっていた家事を1人でこなすようになり、今まで周囲に支えてもらっていた有り難さを改めて感じました。辛く苦しい高校野球を乗り越えられたのも、リコタイでの3年間本当に楽しく野球ができたのも、両親の支えがあったからこそです。本当に感謝しています!これからの人生で少しずつでもその恩を返していきたいと思います。

#16 宮田駿二(都立青山)

慶應の投手たち
左から河本龍斗(2年)、宮田駿二(3年)、小峯丈明(2年)、日比谷元樹(1年)、上田裕介(3年)、山本恭平(2年)

同じ投手として上田(3年・上田裕介)の存在がとても刺激になりました。特に、1年の時に上田が活躍している姿を見て自分も頑張ろうと思えました。2年で僕が投げるようになってからは後ろにいる上田の存在が心強くてのびのび投げることができました。 あとは、理事長として連盟の運営をしてくれてありがとう。理事の皆のおかげで楽しい野球生活を送ることができました。

#17 税所佑斗へと続く

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